2011年7月1日金曜日

躾について思うこと。

躾を wiki で調べると、説明が出てきます。

「人間または家畜の子供または大人が、人間社会・集団の規範、規律や礼儀作法など慣習に合った立ち振る舞い(規範の内面化)ができるように、訓練すること。」

とあります。

じゃ、身を美しくという字は、どういう意味なのか?

と、思ったわけです。

OKWave でこんな質問をしてみました。

http://okwave.jp/qa/q6807749.html


「躾という言葉と、禅のお坊さんの立ち振る舞いが美しく感じられるということに関係はあるでしょうか?」

そうすると真っ先に、関係ないという意見が帰ってきたのですが、

しばらくするとこのような意見もいただきました。

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形直ければ、影おのずから正し
......<詳細は、上記リンクを参照のこと>
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どちらかというと、上記の意見に私は賛成です。

といっても、躾は、イコール、禅というわけではありません。

昔、武士の時代、武士の立ち振る舞いにも、独特の美意識があったように

感じます。

私は、茶道を少し習ったこともあるのですが、茶道でも所作を決め、

それに従った動作を繰り返し覚えます。

何が言いたいのかというと、wiki の社会集団の規律や規範を

身につけさせるというよりも、その時代特有の人間としての美しさを

身につけさせることが躾なのではないかということです。

もちろん今は、武士の時代ではないし、みんなが禅をやっているわけでも

ないし、そうする必要もないのです。

しかし、個の時代には、躾は必要ないのか?

もちろん社会人になれば、各企業の規律や規範というものもあります。

学校でもルールがあります。

でも、現代のそういう規範に人間としての美意識はあるのでしょうか?

もう少し掘り下げると。(このブログは、単なるメモみたいな感覚なので、

忘れないようにメモしますが。)

昔は、といっても藤沢周平の書いている時代のころしか知りませんが。

ひとが自然とともに生きていた。そのころは、自然の移り変わりと

その風景とともに生きる自分たち人間の一生のはかなさに美を感じる

ことができたのではないか?そんな風に思うのです。

自分が最近思う、人間らしい生き方とは何か?という問い。

その問いは、この辺に行き着く気がします。

後は、その実践の問題かな?

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